三上かーりん 物語   (筆責 服部忍海)

ドイツ・リートの音楽と詩の行間を探り、60歳を過ぎてから人文科学の博士号を取得。
在日33年の日本と生まれ育った国ドイツとの文化的『かけはし』になるのが夢。その歩みを
9つの物語にまとめました。                   (2001年 作成)

[1] ドイツから日本に来て33年、日本語で、歌曲の心を伝える
[2] 日独の文化の差を受け入れる
[3] 『水車小屋の娘』でした
[4] ミュンヘン国立音楽大学でピアノを学ぶ
[5] 結婚後、ロンドンで7年半を過ごす
[6] 3人の子どもを連れて、日本を体験
[7] 国際的な義母と昔風の母
[8] 60歳を過ぎて博士号取得
[9] 今はとても幸せ


5.結婚後、ロンドンで7年半を過ごす


出会った時は、すれ違っただけで、何も言葉を交わさなかったが、翌朝また祐三氏が訪ねて
来た。今度は、かーりんさんに会いに来たのだ。
――「それから彼と散歩していろいろ話して・・・。嬉しかったね。彼はドイツ語はできないけど
英語ができた。私はフランス語ができたけど英語は少ししか話せなかった。だから、細かい
コミュニケーションはできなかったけど、何とかなると思って・・・。」
翌1961年に結婚。やがて、ご主人の仕事でロンドンに。
  ――「ロンドンでは、二人とも外国人。国際結婚にはとても良い環境でした。」
二人の間に間もなく生まれて来た初めての子は、サリドマイド児だった。
――「サリドマイドなんて知らなかったから、大変なショックだった。みどりちゃんという女の子は、
生まれて99日間だけ生きた。それで、次の子を産むのが怖かった。お医者さんに励まされて、
次の子が無事に生まれた時、前は、子どもがいても音楽はぜひ続けたいと思っていたけど、
初めの子を亡くして、すごく母親としての責任を感じるようになっって・・・。これからは、一生懸命
子どものために尽くそうと考えるようになりました。」

ロンドンには7年半暮らしたが、1062年には、無事次女ヨハナさんが生まれ、かーりんさんは
育児に専念。
――「でも音楽にも近づきたかったので・・・。」
折角ロンドンにいるのだからと、王立音楽院の先生のレッスンを受けることになり、外部の学生
として、コンサート・デュプロマ(L . R . A . M)の資格も取得。
――「この時、私は長男が生まれる3ヶ月前で、お腹が大きかったから、先生方おまけしてくれた
かもしれませんね。大変お世話になりました。」